素読について考えること。
素読とは書いてある内容を理解せずに声に出して読むこと。
だそうです。
私はそのようなことは無理と感じました。
文章を黙読した時に、その意味を知りたくなるからです。
わからない漢字があれば、すぐにググり意味を調べます。
一向に前には進みません。脱線の連続です。
意味がわからないのに読んでも何の利益もありません。
意味を知り、自分なりの理解をすることが何より大切に感じます。
私には素読の効用がわかりません。
と言うより素読の効用がまだ出てこない時期ではないか。
まだ始めたばかりなので、効用や効果を求めるのであれば、
1ヶ月とか期間が必要になってきましが、せっかちな為
時間を待つことができません。
そこで私の勉強方法を紹介します。(論語)
まず文章を読む。(黙読)
わからない漢字や熟語はググる。
素読用の本で、読み仮名を調べふりがなを書く。(論語だと何冊かある)
その後で素読をする。
現代訳は、調べてわかりやすい人ものを選ぶ。
いろいろな考え方がありますが、本に書かれてある文章が、すべてに意味があるように感じます。
大事なところは、一節だ、と言う人もいますが、そうは思えません。
ここまで書いてわかったことがあります。
それは検索力です。
どう検索し、どのように内容を理解するかが大切になってきます。
現代の検索方法は、インスタグラムとYouTubeだそうです。
漢字を調べるのには、不適当かもしれませんが、若者たちはそのようにしているようです。
時々見る光景です。
街を歩いていると、行列の店があります。
そこの店だけが、黒山の人だかりです。
話を聞いてみると、インスタグラムでバズったお店だそうです。
現在論語を勉強しています。
そのようなお店に行くような人たちとは全く違う道を歩んでいくようになると考えます。
論語に書かれている内容は、人の道であり、道徳的な生き方です。
ランキングは、一つの指標であり、それが行動に値するものかはわかりません。
ランキングを信用すると、価値観が行動の原動力になります。
それは本来的な行動の原動力ではないように感じております。
ランキングは序列をつける行為です。要するに順番順位です。
はっきり言語化できませんが、全く違う生き方が求められているように感じてなりません。
かなり昔になりますが、アメリカでヒッピーが流行った時期があったそうです。
はじめのうちはその行為が、自律の意志でしていたそうですが、
だんだんと時代が進むにつれて、価値観で行われるようになったそうです。
本来の見方感じ方が違うように感じました。
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