人それぞれ違いがあるように、
素読の仕方も、人それぞれいろいろなやり方があって良いと感じた。
現在、論語の素読をしているが、章ごとの通読はできず、節ごとの素読に止まっています。
素読は内容をわからなくても、読むことは大事です。
内容がわからないと、読む気になれませんが、
内容を極力調べるようにしてから、素読するようにしています。
人それぞれいろいろなやり方があると思いますが、
私のやり方は、他のサイトからドキュメントにコピペして
文章の体裁を直しつつ、読み下し文に振り仮名をつけて
読みやしすくしています。
論語の章の節ごとに
漢文
読み下し文
現代語訳
として、読み下し文に(ふりがな)をふり
漢字を旧字体にしたりします。
孔子の生きた時代と、読み方の違うものもあり
いろいろあるなあ。というのが本音です。
例えば、
尋ねてを、温ねて(たず)ねて
導くを、道く(みちび)く など
このようなことも、理解するまでの時間がかかることと感じました。
ドキュメントで作っている資料は、あくまでも自分自身の勉強用で
人に見せるものではありません。
論語の場合、章の中の節ごとに番号がふってあるので、勉強しやすいです。
節ごとに、深掘りしていけばいいように感じました。
論語には、「礼」や「孝」などの言葉が出てきますが、
実際に形があるものではないので、理解をしづらくしている要因かもしれません。
また、「礼」のやり方については、具体的に示されていませんし、
自分で考えるしかないようです。
日本人の「礼」としては、礼儀作法や当時の学校で教えていた修身などと理解しています。
自分なりの勉強が必要だと考えます。
孔子の教えのわかりやすいところは、
あくまでも、言葉で説明しているところです。
イエスキリストは、キセキを起こしたり、
容易には、理解不能な点があります。
学ばなければいけない点は、
孔子の言っていることと、
自分の生き方を比べてどうなのか?
孔子の教えの前提には、
君子や親が善良な人であること。
になります。そうでないと
その関係した人たちと、
悪いことに加担したりすることになります。
この辺のところが弱いところだと感じました。
日本人は善良な国民なので、
この孔子の教えがあっているように感じます。
今しばらくこの学びを続けていきます。
今日のまとめ
いろいろなやり方がある。
私の勉強方法
論語の読み方の違い
形にない言葉の理解
論語の前提
日本人にはあっている
最後までご覧いただきありがとうございました。
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