老いを感じる時

齢六十をすぎると、
ふと我に帰った時、
いくつまで生きられるのだろうかと、
考えてしまう。

数年前法事があり、法要の時に、お坊さんが語った中に
若い時は季節を感じることがなかったが、
最近になって、季節が眩しく感じることがある。
この季節を何回過ごすことができるのだろうか。

老いることは仕方がないこと。
長く生きている証。
老いる中で若い頃との違いは、
良い意味で関係から離れることが出来る。

親との関係
職場との関係
地域との関係
社会との関係

生きていく上で欠かすことの出来ない関係
親とは死に別れ
定年退職し職場を離れ
最後には地域や社会から離れていくことになります。

ドイツのある指揮者がインタビューに答えて言いました。
私は90歳を超えました。
親と関係、職場との関係、社会との関係から
歳を経ることによって自由になりました。と

若い時のように体を動かなくなりますが、
いろいろな関係から離れることで、
自由に生きることが出来るようになります。
本当の人生を楽しむことが出来る。

現在、どのようなことをすれば良いのか。
自分なりに考えています。
得意を生かすしかない。
苦手なことをしても芽が出ない。
苦手なことは人に任せれば良い。
餅は餅屋。

人生を振り返る機会を与えられたような気がする。
人生の棚卸しとか、
人生の総決算とか、
終活とか、
そのような時が来たのかもしれない。

過去超えられなかったことをもう一度、
心で超えてみる。
このことは自分自身にとって非常に価値あることです。
心で過去の出来事を超えることは、現実の生活にも良い影響を及ぼすはずです。

不本意な出来事、不条理な出来事、などの受け入れ難い出来事を
振り返るわけですから、容易なことではないと感じますが、
一つ一つ丁寧に心の動きを振り返る中に希望を見出すことが出来るかもしれない。

一言で言うと反省することかもしれません。
反省は小さい意味ですと、
言動を反省する。振り返る。

まずは紙に書いて言語化すること。
具体的にどの場面で超えられなかったか。
その時の心の動きはどうだったのか。

そう言う場面になる前に回避することは
出来なかったか。
何がそのような場面を生起させる原因だったか。

このような深い反省できる機会が与えられたことに
対する感謝を、
人類で食うに困ることなく、生きていける民族は
いくらもいないとのことです。
この幸せを噛み締めないといけないように感じます。

今日のまとめ
老いの現実
関係からの自由
反省の機会
反省の仕方
現在の環境に感謝

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