素読の効用があるとしたら、
その唱えた文言が何らかの場面で、
自然に口から出てくるようになります。
そうなれば素読の効用と言えるのではないか。
一度黙読に慣れてしまうと、
声に出して読むことが億劫になってしまいます。
小学生の頃は教科書を音読していましたが、
父親から黙読するように言われするようになりました。
素読は始めたばかりで、
力の入れ方や力の抜き方がわかりません。
漢文は読んでも、慣れないせいか、
全く頭に残りません。
もう少し続けないと効果がないかもしれません。
論語の他に童子教も素読しています。
童子教は具体的に情景がうかびますので、
比較的に入りやすいです。
話はそれますが、童子教は
江戸時代の寺子屋で
幼年教育時から使われたそうです。
いかに当時の教育のレベルが高いかがわかります。
素読の教材について記載します。
論語
童子教
実語教
教育勅語
などが適していると感じました。
論語はかなり難しい内容ですので、
論語から素読をするのはやめた方がいいです。
童子教、実語教から素読をはじめた方がいいです。
鎌倉時代中期から明治時代初期まで使われていたとのこと。
教育勅語は軍国主義を助長するのか、とか、先入観で見られがちですが、
内容は、ごく普通の国民のやるべきことが書かれているので
先入観を捨てて、お読みになることをお勧めします。
明治神宮では、小冊子を配っているとのことです。
YouTubeを見て、
素読をやってみよう。と
人それぞれやり方があるので、
実行することを第一に考えてやることをお勧めします。
何をやるのでも、
初めの一歩を出だすの大変です。
うまくやろうと考えないことです。
失敗を気にしないことです。
人の評価も気にしないことです。
あくまでも自律の意志で
素読のとりあえずの目標は、
普段の生活している中で、
文言が思い出されることです。
それが行動を良い方向にすすめます。
素読の目的は、
先人の智慧に触れること、
触れることで正しい方向に誘われることです。
明るい未来が待っているかもしれません。
成果を期待しすぎているかもしれません。
価値を気にしすぎているのかもしれません。
人目を気にしすぎているのかもしれません。
生きることは前進すること。
後退はありません。
生きている限り進み続けるしかありません。
素読も人生の挑戦です。
新しい生き方の実践です。
得るものはあっても、失うものは本代と時間です。
非常に少ないです。
素読の効用効果を求めても良いかもしれません。
実行することが第一だと考えます。
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