勉強し続けること。
私にとって課せられた使命のように感じます。
なんでも良いからし続けないと落ち着かないのです。
かりたてられているわけではありません。
誰かに追われているようにことでもありません。
自分の意志がそのように感じるのです。
その意志は何を勉強しろとは言っていません。
ただ気持ちが常に勉強する方向に向かっているのです。
そこでたどり着いたのが、「論語」でした。
論語の読み下し文は、理解が難しく、
内容を理解はすぐには無理と感じています。
そこで素読なのかもしれません。
内容は理解せずとも、誦むうちに理解が深まる。
継続すること。し続けること。
非常に重要なテーマと感じています。
隗より始めよ。と言われますが、
全くその通りだと思います。
平凡で小さなことの積み重ねがやがて大きな成果となって現れる。
成果を期待するよりは、
継続するその過程そのものに価値があるように感じますし、
継続する自分でありたい。
現在と30年前では、勉強のしかた。について
言ってることが違う。
やり方が違う。
現在では、疲れを残してはいけないので、
十分に睡眠をとりなさい。と言われています。
しかし、30年前は四合五落ということを言われていました。
要するに、四時間寝て勉強するのは合格し、
五時間寝て勉強すると試験に落ちる。
と言われていました。
その昔のようにがむしゃらに勉強することはできませんが、
今でも少しずつでしたら出来る。
平凡でなんの変哲もない出来ることを繰り返すことが、
毎日となると、難しくなってしまう。
よくよく考えてみるとできないことをするわけではない。
ただただ出来ることを繰り返すだけです。
不思議な話です。
話を論語にもどしますが、
YouTubeで、論語 朗読 で検索すると、
いくつかの論語の番組があり、
その朗読を聴いていると、
非常に論語の内容の素晴らしさを感じます。
2500年以上経っても色褪せることなく、
輝きを放っているのは、そう言うことです。
まだ素読の良さもわかっていないのが現実ですが、
こちらも続けていくことで、何かわかることがあると感じています。
最低でも、1ヶ月は頑張ってみよう。と
現在悪戦苦闘中です。
勉強し続ける道は、遠い道のりです。
内容もさることながら、
継続することにエネルギーを向ける必要がある。
今更ながらではありますが、そのように感じております。
今心の中で言っていることを素直に書くと、
今からでも勉強し、努力することは非常に大切なことだ。
死ぬまで努力し続けなさい。
そうすれば、道は開かれる。
コメント