学校教育で教えないこと

学校教育では、
一番になること、勝つことを教えています。
負けること、退くことは教えていません。
負けることを学校教育で教えていたら、
自殺者はかなり減ると感じます。

負けることは、
勝ち負けである以上は付き物です。
また、進むことは教えても、
退くことは教えていません。
何か片手落ちのように感じます。

高校野球の夏の大会では、
勝ち残るのは、1校だけです。
他の高校は敗退します。

本当に負ける事とはどのようなことか。
退くことはどのようなことか。
と言うことをより深く學ぶべきだと考えました。

学校教育で教えないのであれば、
自らその答えを求めるしかありません。
その答えとは何か。

負けを噛み締めることはどのようなことか。
負けた時のことを振り返ってみよう。
きっと、ああやればよかった。こうやればよかった。
と後悔するに違いない。

解答は一人一人違うと思います。
それは、生まれ育ちが違うからです。
私自身も解答を求めています。

一つの解決の手順があれば、
手順がない時よりも、より解決しやすくなります。

よくよく考えてみると、勝ち負けの次元から離れ、
別の次元へと昇華していくことが求めれられいるのかもしれません。

その別の次元とは、どのようなものか。
一人一人違う人生だから、
その人が勝ち負けに囚われず、
願い目的に従って生きていくこと。
それが自分自身も周囲の人々も幸せになることです。

しりぞくことについては、
前に出ることや進むことばかり教えて、
その逆を教えていない。

私自身、はっきりとした解決策を見出してはいません。
勝ち負けと言う価値観を捨てることかもしれません。
勝つことは良いこと、負けることは悪いこと。
とどこか心の中で想っています。

あるお坊さんが、
修行とは愚かさを知ること。
と言っていました。
自身の愚かさを知ることが、
肝要かもしれません。

負けを自覚することや愚かさを知ることは、
自身にとって、苦しい作業になります。
しかし、それを乗り越えた時、
今まで以上の自分を感じることができると確信します。

心の痛みかもしれません。
その痛みを乗り越えて、
耐えて生きていくことが求められているように感じます。

再度繰り返しになりますが、
負けやしりぞく時は、
痛みが生ずる。
その痛みを耐える。
その痛みを超える。
負けの意義や退くことの意味を知ること。
そのような過程を辿ることで、
人間的な成長があるように感じます。

結論は、
勝ち負けにこだわらず、
願いに生きること。
目的に向かうこと。

 

 

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