沈黙は金!?

童子教に、
「口をして鼻の如くならしめれば、身終わるまであえて事なし。」
と言う下りがあります。
鼻では喋ることができないので、すなわち沈黙することになります。

人を前にして、
喋らないのは、結構厳しいことです。
喋らないこと、沈黙することは、
処世術としての戒めであります。

将棋盤や囲碁盤の脚付のものは、
その脚は、クチナシの実を形どったもの
とのことです。
要するに、口無しです。
如何に助言が多いことを示しています。

確かに喋って失敗したことはあります。
喋らなければ、何もなかったでしょう。
そのような時に、沈黙出来れば、
身終わるまで事なし。です。

私自身、余計なことを言って、
人を傷つけたり、嫌われたりしました。
人と会わないようにすることも一つの方法かもしれませんが、
それでは、本末転倒です。

人と話をすることは、
必要不可欠なことです。
敢えて話をしないことは、
至難の業です。

人間の構造上、
話をするように出来ているので、
避けては通れない道筋です。

話は横道に逸れますが、
反省は言動を反省すると言われています。
人と話をしたことを反省すること。

論語に、一日三省す。
と言うところがあります。
省みるとは反省のことになります。

話をしてことで、人を傷つけたり、
怒られたり、落ち込ませたり、
話が空回りしていないか、
色々と反省することはあります。

人との出会いは、
自身と合う人ばかりではありません。
全く合わない人と出会うことがあります。
その時はどのように対応するか。

話の合わない人とは話をしないことです。
話の前提条件が互いに違う為、
同じ内容でも、人によっては解釈がまるで違うことがあります。
そのような人は避けることがことが一番のようです。

合わない人と話をしないことは、
現実逃避ではありません。
互いに傷つかないようにするための、
処世術と考えています。

人間は万能ではありません。
生まれ育ちによって、
得手不得手が決まります。
人間の性かもしれません。

人と話をすることは、
相手との同調を取ること。
つまり、相手の言いたいことに合わせること。
それが出来て初めて話を聞いたことになります。

避けるべき相手とは、互いに同調できない相手ということになります。
同調できないことは、話をすることになりません。

その時に、沈黙するのです。
下手に話をして互いに嫌な想いをせずに済みます。

沈黙することに意識を向けてみてはいかがでしょうか。
きっと、今までと違った出会いがあるかもしれません。

 

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