歴史は勝者が語る?!

歴史は見る人によって、主張が変わる。例えば、本能寺の変も、明智光秀から見たものと、羽柴秀吉から見たものでは違います。事実は一つであるが、全く見方が変わります。

立場が変わると言うことも変わる。当然と言えば当然の話です。職場の出来事に置き換えると色々なことが言えると感じました。一つの事実も職場であるなら、課長の見方と、係長の味方と、各担当者の見方では大きく違うがあると感じます。

NHKの大河ドラマを見ても、主人公によって歴史の事実の描き方が変わります。歴史に対する解釈の仕方の違いなのかもしれませんが、まるで反対の見方をしている事象があります。比叡山焼き討ちの前に信長と光秀の話にしても、作品によっては逆のことを言っているので、現場を見ていないからなんとも言えないのですが、疑問の残るところです。

どこまでが本当の話で、どこからは虚構の世界なのかがわかりません。小説は一人架空の人物を入れると言われていますが、読む人の受けを狙っているのか、事実は闇の中です。

黒澤明氏の映画「羅生門」が良い例かもしれません。立場立場によって言うことがまるで違い、場面が再現される。一体どう言うことなのか。結論は出ず真実は闇の中です。

私たちの生活に置き換えて考えると、わかりやすいかかもしれません。立場によって見方が変わる。非常に複雑な事柄に見えてきます。このようなことはもっと簡単な話だと感じていましたが、なかなか一筋縄ではいかないものだと改めて感じました。

正直なところ、指が進みません。記載することがしんどいです。

歴史を見る上で、やはり事実はどうだったか、実際に何があったか、証拠は何か、などから類推して判断するしかないように感じております。

昔、職場の上司が訓示で、
「立場が変わると、言うことも変わる。」と言っていました。
全くその通りだと感じました。要するに同じ事実を立場を変える見ることになります。上司の立場、部下の立場、担当部署によって言うことが変わります。

この話は、非常に面白い話ではありますが、話をすればするほど複雑になります。どのように書いて良いのかわからなくなりますので、全く話のゴールが見えないものになります。

一言で言うならば、一つの事実を、複数の視点から見る。当然その見解も変わってきます。

ロシアのウクライナ侵攻も、立場によって、明らかに違いあります。プーチンの主張、バイデンの主張、事情を知れば知るほど、双方の言い分が正当なことに感じられます。

お金と暴力によって世界は支配されている。と言われますが、言葉による紛争の解決こそ、一番の解決方法と考えています。

 

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