自己の確立は現在の私には全く不釣り合いの言葉です。と言うのも全くと言っていいほど、自己が確立されていないからです。正直なところこのようなことに触れる事自体憚られる内容ではないでしょうか。
私なりに自己の確立をどのようにしたのかを考えてみたいと思います。言わば失敗の過程を検証してみる事です。
YouTubeを見ていたら、本末転倒の本当の意味は、本学を勉強する事なく末学を勉強すること。とそのYouTuberは言っていました。本学とは人間学、末学とは方法を説く学問。もっと噛み砕いて言うと本学は論語をはじめとする四書五経、末学とは生活や仕事などに必要な知識の習得を指します。
まず論語について、孝、仁、徳と言ったような形にないことを対象にしているので、理解しづらいし、素読が良い、と言われますが意味のわからない言葉を唱えてところでどのような意味があるかわからない。今の私の知識では理解できないことでした。
末学については、生活や仕事に役立つ知識ですので、極めて分かりやすい。生活全般の知識ですから掃除の仕方、ゴミの出し方、スマホで撮った写真の整理の仕方、郵便物などの紙類の整理の仕方、仕事においては、資格試験の勉強などがあります。
現在本学に対する勉強の仕方を躊躇しています。どのようにしたら良いのかわからないからです。素読が良いと言われるが意味のわからない単語を読んでも面白くないし、そのあとが続かない。習慣とて定着させるには少々強引でも素読をすること。
素読は私の壁かもしれません。壁を乗り越えるには鍵を探し、ドアを開けること。その鍵を探さなければ壁の向こうにはいけません。その鍵は何か。自分なりに考えてみたい。
素読することの目的や意義を勉強することが鍵なのかもしれません。そうしないと先に進むことができない。書いているうちにすべき方向が定まっていくように感じる。
本学の勉強は避けては通れない道だと感じていますので、もう一度初心にかえって、素読自体の目的意義を勉強していきたい。まずは素読について勉強していくこと。実行あるのみ。
末学の勉強も大切です。生活に必要な知識です。このことも生きていく上で大切なことなので、より積極的に取り組んでいきたいです。現在の懸案事項は仕事に使う機材の取り扱いの仕方です。よくわかっていないところがあるので、明らかにしていくこと。
書いているうちに感じたことは、知識は実践して初めて智慧になります。またのその智慧によって新しい世界が見えるかもしれません。
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