先日、朝○新聞が「大東亜戦争」の呼称について、自衛官が使用していたことに指摘していたが、使用することは差し支えない。当初GHQは使用を禁じたが、サンフランシスコ平和条約で失効した為です。
このような行為は「言葉狩り」というほかない。全くもって卑劣な行為だ。GHQが使用を禁じたものを全て対して指摘するならまだしも、自衛官が使用しただけでこのようなことをするのはいかがなものか。朝○新聞社と言う組織を疑ってしまう。
ここで一番危惧されることは、使用しても問題のないことは、ことさら問題があるように装って事実を捻じ曲げることが問題である。このことは一つの事象としてしっかり記憶に焼き付けておく必要がある。この新聞社が国益に損することをしているので、忘れない為です。また何かの機会に同じようなことで国益に反する行為に及ぶであろう。
少し現代に目を向ければ、差別用語が存在する時代とともに一昔前だったら普通に使用んされていた言葉が差別用語として使用できなくなっているのが現状です。少し驚いた話があります。それはある地域では「臭い」と言う言葉が差別用語になるそうです。何もわからずその地域を旅して「臭い」と言ったら差別したことになります。少々行き過ぎだと感じましたが。
言葉の乱れが国の乱れ、と言いますが、一つ一つの言葉の意味をしっかり理解して使用することが社会貢献になるように感じました。また、言葉の使用については注意しながら使用しないと無造作に使用した言葉で人を傷つけることがあります。
今回のテーマは、とある新聞会社の「言葉狩り」について言及しましたが、それ以上に言葉の使用につて我々が注意を要さなればならないかもしれません。何気なく使っている言葉が差別用語だったりすることは当然あり得ることです。
場所は忘れましたが、外国のある場所の地名が差別用語が含まれているそうです。そのことを指摘しても現地の人が使う言葉がないとして、現在も使用しています。
いろいろなケースが想定されますが、その都度その都度改めていくしかないと感じています。差別用語自体は言葉による民主化に貢献していると感じています。個人やその地域の人々にとっては嫌な言い回しがされないだけでも暮らしやすくなります。
物は言いよう。なのかもしれません。要するに言い方を考えることです。
「丸い卵も切りよで四角、ものは言いよで角がたつ」などと戯れ歌がありますが、言葉の使用についての戒めなのかもしれません。
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