宗教に対する疑問

未だに解けない疑問があります。それは本来宗教でするべきことなのか。と言うことです。以前にも記載したことがありますが、その教祖様との対談で、親不孝をしていたがその教えに従って実践したら、救われた。と言う話です。

そのような話が時々あります。本来は宗教で解説すべき問題ではなく、道徳で解決する問題に見えます。確かに道徳は最近になって学校教育で教えるようになりましたが、それまではありませんでした。

全くと言っていいほど、私にはどう考えていいかわかりません。

最近も宗教の勧誘について、一緒に会合に参加しないかとか、宗教の話を聞いてくれないかとか、時々耳にする話です。布教活動は宗教では欠かせないものかもしれませんが、周囲の人間も巻き込むことになりますので、いかがなものか。

一時日蓮宗の一派の団体が、勧誘が手荒にすることで問題になった時期がありました。私の同級生もその勧誘に遭い数時間監禁状態にあったと聞きました。少々行き過ぎだと感じました。

日蓮宗は新興宗教とは違い歴史があるので、信仰、勧誘、修行等は時代と共に洗練され、淘汰されてきたと感じます。以上のことから悪い宗教ではないと感じます。しかしながら、信者の勧誘の仕方が手荒なのでその点は行き過ぎていると感じます。

話を元に戻しますが、本来道徳で行うところを、宗教で解決を図ることはいかがなものか。と言うのが私の主張です。誰かわかり人がいたら教えていただきたいと考えています。

日本人が無宗教と言われますが、私は違うと感じています。それは、生まれながらにして神道が身体に染み付いているように感じます。神道は教義教祖教典がありません。空気のように存在していると私は考えていますので、日本人なら皆神道の信者になるのではないかと考えています。少々無理があるかもしれません。

日本にキリスト教が根付かなかった大きな理由は、神道の八百万の神を生まれながらにして信仰しているから他の宗教を受け入れなかったのかもしれません。

何かを信じれば、それは宗教になりますので、差し詰め私は歴史が好きなのと、最近になって論語を読んでいます。儒教は宗教と言えるのか。人の道を説いている学問と言う位置付けになると思います。孔子の言っている事は素晴らしいので、実践する価値有ります。論語の素読を奨励しているのもうなづけます。その言葉を唱えて行動もそのようになれば論語を体現することになります。素晴らしいことです。

宗教の疑問からいろいろな話に脱線して行きましたが、考えれば考えるほど疑問が生まれます。一つ一つ自分なりに解決していきたいと考えます。

 

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