鈍感力について?

どんな事が身に降りかかっても、「無口」で「鈍感」ならば自分から失態を犯すことはない。三猿ではないが、「見ざる、言わざる、聞かざる」自身にとって悪い事を避けるようにすることが今の時代求められているように感じる。

今でも余計なことを言って、墓穴を掘るようなことをしている。全く情けない話だ。このような失態を防ぐ術はないものか。どうしても刺激に反応してしまう。人間の性か。

このように余計なことを言うことを避けるには、鈍感に反応することかもしれない。言ったことに反応してしまう。このことが原因である。反応しなければ失態は起きない。

刺激に反応することになれすぎているのかもしれない。良い面もあるが、悪い面もある。そもそも危険から回避するには必要なことです。しかしながら、対人関係では行き過ぎになってしまう。全く厄介な話である。

鈍感力を鍛えることも、人生の修行なのかもしれない。今までの人生ではした事がないから、新しい生き方の実践かもしれない。

無口でいることも、なかなか難しいかもしれない。どうしても刺激に反応してしまう。対人関係において無視するのは失礼だが、言ったことに反応を遅らせることは訓練しないとできないかもしれない。

現在このようなどちらかと言うと行動しない話なので、考えづらい面がありますが、心に決めて、鈍感無口を実践するべく行動していく。

先日もお客様に余計な提案をしてしまった。お客様の話をもっと聞けばよかった。と後悔しています。ここで前回記載した、ちょっと待てと一呼吸置くことかもしれない。

どうも前に進み出すと後ろを振り返ることをしなくなります。前を見て、後ろを振り返って、行動することを求められているのかもしれません。

今回の内容は、全く生産的な内容ではありません。どちらかと言うと現場にはいくが何もしないに等しいかもしれない。

無口鈍感は、私たちにとって、もっと人の話を聞けという呼びかけかもしれない。聞くことが疎かになっていることを深く感じる次第です。

聞くこともかなり難しいことだと感じます。深い人間理解がないと適切な応対ができません。

意見を言うことや自分をいかに表現する事が持て囃されていますが、それとは逆に無口鈍感や聞くことは軽視されています。人間関係において見えづらいのかもしれませんが、自分を表現することと同じくらい大切なことです。

心に筋肉があるとしたら、無口鈍感聞くことの筋肉を育てていくことも必須のことかもしれない。

 

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