私の歴史観について

私の歴史観を作ったのは、親父とKさんだ。Kさんは遠縁の親戚の方で親父の仕事を手伝っていた人である。その二人が私の歴史観をつくったと言っても過言ではない。

親父の生年は昭和一桁で、Kさんは大正末期の生まれです。現在生きていれば、親父が90代、Kさんは100代になる。私も還暦を過ぎているのだから高齢になるのは致し方ない話だ。

親父は先の大戦を「大東亜戦争」と言っていた。「大東亜戦争」は「大東亜共栄圏」をつくる戦争で、陸軍の主張では南進し油田地帯を押さえて、その地域で戦争をする。一方海軍はアメリカを戦うことを考えていた。

マッカーサーについては、「日本が強い時は逃げ回り、日本が弱くなると鬼のように振る舞う卑怯者だ。」「厚木飛行場に英雄を気取ってパイプを咥えて降りる姿は傲慢そのものだ。」「マッカーサーが真の強者だったら、東條たちを許しただろうが、弱虫だから残忍極まりない行為をした。」「天皇陛下と写真を撮っているが、天皇陛下は正装しているの対して、平服で臨むとは何事か、不遜な振る舞いである。」というようなことを話していた。

一方Kさんは、マッカーサーについては概ね同じようなことを言っていた。東條大将の話はしていなかった。ラバウル航空隊の話をしてくれたことを思い出す。「ラバウル航空隊は強かった。アメリカ軍も勝てなかった。戦いを避けたり、逃げ回っていた。」

親父がアメリカを知る近所のオジサンから、「巷ではアメリカに勝てると言っているが、アメリカのような大国に日本が勝てるわけない。国力が全然違う。」と真珠湾攻撃当時の話をしてくれた。そのオジサンからは他の人に言うな。と口止めをされたそうです。

親戚の人で、ラバウル航空隊の整備員をしていたが、戦局悪化したために厚木に首都防衛の航空隊が組織された時に厚木に来た人がいる。その人はそこで終戦をむかえた。と親父は言っていた。

米軍の空襲時は、戦闘機の場合は低空飛行をするので建物の影に隠れる。爆撃機の場合は高度が高いのでどこを爆撃するか観察する。と親父は言っていました。親父の話から類推すると米軍は市民を攻撃対象にしていたことになります。明らかな国際法違反です。

「米軍が攻めてきたら、竹槍で戦うと考えていたが、今から考えると呑気なことを考えていたもんだ。装備が違うのだから敵うはずがない。」と親父が言っていました。

私は親父やKさんからこのような話を擦り込まれていましたので、反米的な思想になりました。マッカーサーが戦後の日本の癌のように聞こえました。

今回は親父やKさんから聞いた話を書きました。親父やKさんは亡くなってしまいましたが、この記載をするときに何か後押しをしてくれたように感じました。

 

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