過ちて則ち改むるを憚ること勿れ、と論語学而八節の一番後ろに書いてある。
全くその通りだ。間違えがあったら、即座に訂正すること。すぐに謝ること。過失があることに気がついたらすぐに謝るなり、訂正するなりして正しい道に戻すことが必要です。
逆に間違えたままだと、今の財務省のように国益を損することを続けていても訂正もしない。国が傾いても直そうとしない。
とある人が言っていた話、間違えに気がついたら、即座に謝りなさい。何かやっている最中に気がついたら、その場で謝りなさい。家に帰ってきてから気がついたら、メールで謝りなさい。などと言っていました。
間違えたら謝罪する。そんな当たり前のことができていないのだから、呆れたものだ。訂正しない限り間違った状態が続くだけだ。そんなこともわからないやつの気がしれない。
未来をよくしようとする視点がないのではないか。謝罪したその時は、カッコ悪いが正しい方向に舵をきることによって未来が明るい方向に行くことになる。その方が間違えを続けるより遥かに良いことである。
間違えない人間はいない。むしろ間違えながら、転びながら生きているのが世の常である。そのことをわかっていないのではないか。
論語の中に、過ちをすることより、過ちを認めないことが過ちだ。と言うようなくだりがある。まさにその通りだ。過ちは誰でもするが、過ちを続けていくことはその過ちを増大させることになるので、そのことが過ちだと言っている。
識者が言われるように、2500年前に解答を出している人がいた。と
孔子の教えや、プラトン、聖書、仏教など人生の解答がすでに用意されている。
私たちは今一度、勉強し直す必要があると切に感じます。
どの本でもいいから、片っ端から読んでいくことをお勧めします。興味を持った分野でも良いので何のしないよりはるかに実り多きことになる。出来ることからやること。特に現代では必要なことである。
結果を出せ。と上司から言われたことがありましたが、良い結果を出すには、その過程が大事で行動や具体的なやり方を見直すことが、結果云々より大切ではないかと考えていました。
いつもそうなのですが、横道に外れましたが、
間違えは即座に訂正する。即座に謝罪する。そのようにすると明るい未来が待っている。
謝る行為ができない人がいるが、勇気を出して謝ることがその人の人間関係をその人の人生を良い方向に変えていく原動力になることを謝れる人は知っている。
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