先の大戦を振り返る

先の大戦を親父から聞いたことで振り返りたい。

「大東亜戦争」について
親父は先の大戦のことを「大東亜戦争」と言っていた。なぜ大東亜戦争なのか。それは東南アジアを含めて大東亜共栄圏を作る構想があった。と親父は言っていた。
イメージ的には、日本、朝鮮半島、中国、ベトナム以下東南アジアに共栄圏を作る戦争のことを「大東亜戦争」と言っていた。

米軍の空襲について
戦闘機の空襲は、無差別攻撃をしていた。人と見れば誰彼関係なく老若男女問わず機銃掃射した。
爆撃機の空襲は、都市を爆撃した。
親父の話によると、軍人市民の区別なく攻撃をしたとのことでした。

疎開(そかい)について
親父は現在の宮城県仙台市に住んでいた為、都市に対する空襲が激しくなったので、宮城県村田町に疎開しました。以後自然に囲まれた生活をしていたそうです。

マッカーサーについて
日本が強い時は逃げ回り、日本が負けてきたら、鬼のように振る舞う、弱虫の卑怯者だ。
厚木飛行場に降りた時の、パイプを咥えて姿は何だ。傲慢の極み、と言っていた。
また、天皇陛下と撮った写真については、天皇陛下に対する礼儀がなっていない。平服で一緒に写真を撮るとは何事か。と言っていた。
また、マッカーサーが真の勇者だったら、、東條元首相を殺さなかっただろう。弱虫のやり方は残忍だ。

戦後教育について
戦前の教育とはまるで違うので、これで大丈夫なのか。と子供心に思ったと言っていた。

以上が親父が言っていたことである。親父の言っていたことが全て正しいとは想いませんが、ほぼほぼことの大筋を捉えているように感じております。
忘れる前に文書に残したいと想い記載しました。
親父もこの戦争の犠牲者です。この戦争がなかったら、スポーツ選手になっていたかもしれません。食うや食わずで、その日暮らしをしていた為、スポーツ選手の道を諦めざるを得なかった。と本人は語っています。また、当時の人の話を聞くと、戦後のどさくさで、才能を開花できなかった人が大勢いたことを知りました。戦争の傷跡は決して浅くはありません。

現代に生きる者としては、戦乱のない平和な世の中です。今も昔も言われることはほぼ同じことを言われていると感じました。それは、「国民一人一人が利口になって意見を言えるようになること。」このことが現代生きることの使命なのかもしれません。使命とはその人が人生において本当にやらなければいけないことです。

意見を言えるようになるには勉強するしかありません。現代の抱えている問題に誠実に受け止めて解決策を模索することが非常に大切なことだと感じてなりません。

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