過去に學ぶことは、未来起こるであろうことを學ぶことに他ならない。過去に學んでも何の意味もないと考える人がいるがそれは早計である。過去起こったことは、必ずとは言えないが、同じような繰り返しを高い確率で起きる可能性がある。
逆に言うと、過去を學ばない人は、未来に生きることもままならないことになる。日本人は過去に學んでいるだろうか。同じ失敗を繰り返すようでは、過去に學んでいないことになる。
旧字体の「學」は、意味として、複数の大人が一人の子供を教えること。自体の上は複数の大人が教え、字体の下は子供、と言う意味とのことです。
では何を學べばいいのか。それは歴史を學ぶこと。
識者の方が言うには、「古事記」「日本書紀」から學ぶことを推奨しています。どちらも8世紀初頭に書かれています。「古事記」は712年、「日本書紀」は720年です。
神代の歴史から国の成り立ちを知り、日本人としての民族性を豊かにすることが、現代求められていることではないか。よく言われるのが作り話ではないか。そのようなことがあったかどうかわからないとか。言われますが、真偽はわかりませんが、そのような成り立ちで国家を形成していったことを學ぶことにより自身の個性も豊かになると信じます。」
外国に行って聞かれることは、日本とはどう言う国ですか。日本はどのような歴史がありますか。と聞かれた時に答えられるように、なるために歴史を學ぶ必然性を感じます。日本人が日本人になるためには歴史を學ぶことは、必須のことなのかもしれません。
私自身も、「古事記」「日本書紀」は學んでいませんので、これから學ぼうと感じています。
次に學び方ですが、どこから始めても良いです。自分の始めたいところから始めれば良いです。勉強するのも縁があるように感じました。自分が強く感じることや興味の惹かれるところはから始めるようになりなすので、人それぞれになります。
私は現在、林千勝先生の著作を読んでいます。わからなかったことがわかるようになることはこの上ない喜びです。學ぶことの醍醐味かもしれません。學んでて感じることは、どこまで行っても道は続くことです。進んでも進んでもゴールはありません。行った先にはまた道があるのです。延々とその繰り返しがあり終わることはありません。
最後に、過去を學ぶことは未来を先取りして學ぶことに他なりません。
「古事記」「日本書紀」から学ぶことが正統派ですが、
自身の好きなところから始めれば良いと感じています。
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