トムトムの不動産について、不動産は、非常に縁のあるものです。子供の頃から関心があり、土地を持ちたいと思っていましたが、現実に手にするとは、子供の当時は考えていませんでした。父親の影響がかなりあったのは事実です。「土地は、自分のものになる。」とか、「この辺の地価は、一坪あたり30万円だ。」とか、父親の話を聞きながら育ちました。子供心に残る話でした。刷り込みと言うべきか、繰り返し繰り返し同じことを聞かされて、心に刻んでゆくと言うのでしょうか。父親はそのことを言っていた記憶があります。私自身にしても決して気分の害するような話ではなく、それとは逆に心地よい話になっていました。例えば言うなら、「もっと聞きたい。」とか「興味のある話だから話してほしい。」とかです。
実際に不動産に関わることになったのが、平成8年の秋に自宅の建替えの話があってからです。結論を先に言うと、銀行が親にではなく私に住宅ローンを組むように言ってきたことです。そのことで、自宅は私の所有で、土地は父親の所有と言うことになりました。言うなれば親父の土地に新築の自宅を建てることです。10月下旬頃から工事を開始し、平成9年の4月下旬引き渡しでした。
私の自宅新築の目的は、両親を災害から守ることでした。言わばこの自宅がノアの方舟にように両親を守ってくれることを考えていました。平成8年当時も地震発生の話があり、関東大震災級の地震が発生するのではないかとか、東海沖地震が起こるのではないかとか、ニュースでも度々話題になっていました。そのようなこともあり、新築するべく決心しました。
新築工事の流れは、10月下旬から12月中旬まで基礎工事、12月中旬から2月中旬まで建築工事、2月中旬から4月下旬まで内装工事でした。10月下旬の工事着工日には、地鎮祭を行い、12月中旬の鉄骨の柱を立てる時には、上棟式を行いました。地鎮祭の時の思い出です。準備でお神酒を入れるお銚子の中を覗いたらカビが生えていました。中をきれいにする術がなく、そのまま御神酒を入れてきた人に振る舞いました。その当時はその方が抵抗力がついていいかなあと考えていました。上棟式の思い出は、鉄骨がなかなか到着しなかったことです。建築会社の社長さんや私や両親が揃っているのに15時過ぎに柱を立てました。作業が終わった時には、周囲が真っ暗になっていました。建築会社の社長さんは、「上棟式にこんなことはあり得ない。」パニックになっていました。鉄骨を運び入れたパートナー会社の方の言い訳は、「JR田端駅がなかなか開放してくれなかった為この時間になったでしまった。」と言っていました。
話が前後しますが、地鎮祭の時の思い出がもう一つあります。それは銀行から現金を3000万円を自ら運んだことです。銀行から自宅まで約1キロ弱の道のりを徒歩で運びました。途中襲われないか心配でしたが、順調に自宅近所まできました。そうしたところ近所の同級生の母親から声をかけられました。「今日家を建てるんだって」と、私としては、早く無事に現金を運びたいと思っているところにですから、正直閉口しました。よりによってこんな時に話しかけないでくれ。と心の中で悲鳴をあげていました。そのやりとり後無事に自宅に現金を運びました。当時を振り返ってみると色々なことが思い出されます。
まとめです。今日の話は、私にとっての不動産の話をさせて頂きました。少年時代に不動産に興味を持っていたこと、実際に不動産に関わった自宅新築の件などを書き出しました。ここまで読んで頂きまして、ありがとうございます。今後とも掲載させて頂きます。よろしくお願いします。
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