今日は自宅新築の経緯についてお話しします。自宅新築の話は、父親の弟、私から見たら叔父さんから話がありました。叔父さんの会社はゼネコンで公共施設や大型デパートなどを手掛けていました。その話から見れば非常に小さな案件になるのですが、請け負ってくれるとの事でこのような話になりました。
父親と叔父さんは仲が良く、時々遊びに来ていました。また、夏のシーズンや冬のシーズンには叔父さんの会社の別荘に行きました。那須と草津にあり、夏場は那須の別荘に行き、冬場は草津の別荘に行きました。私も両方に一二度連れて行ってもらいました。那須や草津は、日本有数の観光地で、特に那須は、夏のシーズンですと道路が渋滞して別荘にはなかなか辿り着けません。観光や昼食で車で移動する時も非常に混雑していたことが記憶に残っています。叔父さん夫婦と両親と叔母さんと私の6人で那須に行ったことがあります。那須は傾斜地なのと冬場は雪の為車での移動が困難です。5月ごろから11月くらいまでが別荘に滞在できる時期でした。一方草津は温泉とスキー場があり、夏冬楽しめるリゾート地です。
話は横道に外れました。父と叔父さんの人間関係から自宅新築の話が出てきました。平成8年春に話がありました。まだ、母の実母が生きていた頃にありました。「俺はどこに行けばいいんだ。」なんて母の実母は言って言いました。その頃から新築の話し合いがありました。父と叔父さん、1級建築士の方と助手の方で話は進められました。
新築の話とは別に、1級建築士の方と私の二人になった時の話の中で「今の家でも住むことは問題のないことなので、住むことができます。無理して立てる必要はありません。」そのようなことを言われました。その話を聞いて非常に最もなことだと思いましたし、私自身本当に立てる必要があるのかと。改めて考えてしまいました。この時は、まだ私一人で住宅ローンを組んで新築する話ではなく、父が住宅ローンを組んで新築する話を計画していました。私自身も新築する意志は固まっていませんでした。
母からは、私に新築しろと、言ってこなかったです。弟が遊びに来た時、母に兄貴に新築の話に参加するように言ったらどうかと言っていたそうですが。後からその話を聞かされました。私も当初、父と叔父さんの間で話があった時は、全くと言っていいほど蚊帳の外にいました。確か9月ぐらいになって父一人では心許ないと思い、新築の話に参加しました。正直なところ新築費用を考えると大きな借金を背負うことになるので躊躇していました。
その時に考えが湧き上がりました。両親をノアの方舟のように未来来る災害から守ってくれる家を建てたいと意志の立ち上がりが有りました。実際には考えているようにはなりませんでしたが、この家を建てたことがある意味成功したと考えています。もう少し噛み砕いた言い方をすれば、両親と私の良き住処が誕生したということになります。
まとめです。父と叔父さんの仲が良い事で自宅新築の話が出たこと。横道に外れましたが叔父さんの会社の別荘にみんなで行ったこと。意志の立ち上がりがあり、新築する決心をしたこと。などが今回の話の内容になります。最後まで読んでいただきありがとうございます。
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