豚とスイカ畑の話?

小学4年生の自習時間に、担任ではない先生が来て、ある逸話を朗読しました。内容は豚がスイカ畑を食べる話です。スイカ畑には柵があり、容易に入る事ができず、柵の周りには警戒の人間が巡回しています。スイカ畑の入り口には門番が居て、中に入ることは困難です。

豚は人間の警戒の眼をスキにスイカ畑に入り、スイカを食べ尽くします。腹の膨れた豚は柵から出ることが出来ず、一計を案じます。食べたスイカを全部吐いて柵を出るか、スイカ畑に留まり、食べたスイカの消化するのを待つか、選択の時が来ました。

そこまで先生が朗読し、その後、みんなで討議しましょう。まで読んで先生は「これは窃盗です。こんな事をしてはいけません。」と言い、急に怒り出し強制終了しました。

この話はユダヤ教の経典であるタルムードの逸話の「キツネとぶどう畑」と内容がほぼ一緒です。タルムードの逸話は、お母さんが子供に読み聞かせをし、その後の選択肢について、子供に問うのが流れのようです。

この頃の先生は、真っ直ぐな先生が多く、正直であることが美徳と言う風潮がありました。これは社会の風潮であり、社会全体に染み込んでいたように感じました。

当時、ウルトラマンと言う実写子供向けドラマありました。その中のワンシーンの台詞に「子供は正直だから」と言う話がありました。しかしながら、今考えてみると、その頃の大人が正直であったように感じました。

正直なところ現代の子供達はどうなのかよくわかりませんが、子供は正直だと思います。

現代は、いろいろな仕組みがかえって生きづらくしているように感じます。
仕組みが一人歩きし、人間の言うことを聞かず、それに翻弄される人間、現代に生きるにはそのことも受け入れて生きていかなければいけないのかもしれませんが、
社会は人間が主体なので、中軸に人間の生きやすさがあるべきと感じます。

話は脱線しましたが、この話で言いたいことは、当時の先生が非常に正直であったことがこの話で言いたいことです。
人間が生命を維持するためには、他の生き物を喰らい生きています。ごく当然の如くです。ここに出てくる豚も生きるためには当然のことをしたかもしれません。この話は長年に渡り疑問に感じていたことです。

学校教育では、道徳の観点から見るように指導されています。商売する観点から見るようには教育されていません。この話に出てくる先生の行動は、道徳的には申し分のない行動です。ごく当然のことです。商売の方法を教える場ではありません。

味方や切り口によって、物事の見解は分かれるものです。国会が良い例かもしれません。
同じ事象なのに、全く違う見解になる。
今回ことは、視点によっては、評価が全く別のものになる事象のように感じました。

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