本末転倒の本来の意味について、考えてみたこともなかったが、その意味を知ると、今までの自分は何をしてきたのか。と自責の念に駆られる。
戦後の学校教育では、人間学を教えることなく、末学である国語算数理科社会を基軸として進められた。言わば方法論を教わったに過ぎない。これでは人間性を養う教育にはなったいない。教育は、世のため人のためになり、立派な大人になるために行うものです。
一個人が裕福になるためにしているのではありません。現代の教育を見ると、おぼろげではありますが、本来身に付けないければならないことを教わってきていないように感じますし、疑問に想ってきました。
人間学とは何か。「東の論語」「西の聖書」と言われるように、人の道が書かれている書物を学習することだ。と考えています。江戸時代の寺子屋教育では、最終教科として四書五経を学んだとされています。
現代を見ても、決して人間性豊な人間ばかりだとは思えません。過去の教育が現代社会を反映しているように感じます。そうしますと、人々の心が荒廃しているのは、ある意味教育の成果であることになります。
今起きている荒廃している状態を良い状態にしなければなりません。
これは心の荒廃を正し、良い状態に戻すことが人間学によってなされていくことを期待しています。
では何をするのか、ヒントは江戸時代の寺子屋教育にあると感じています。
正直なところ古臭いイメージがあり、受け入れ難く感じておりましたが、
二宮尊徳や関孝和を生んだもの、寺子屋教育からです。では寺子屋教育では何を教わっていたのか。私自身興味が湧いてきました。
寺子屋教育は、民間の教育です。師匠がいます。
寺子屋でのルールや礼儀作法などのことを教わり、
実語教や童子教を教わり、最終的には、四書五経を教わるようになるそうです。
人間学の勉強方法は、ググれば、概要を掴むことは出来ると感じています。昔のように師匠について手取り足取りしながらやるのとは形態が変わったきたように感じます。
まず、ググっていただき、実語教や童子教を検索して、概要を掴み勉強することがお勧めです。
私自身、童子教の素読を毎朝しています。心に一つの軸ができるように感じました。
ワードやドキュメントにコピぺして、やってみてはいかがでしょうか。
自身の生き方の基軸となるものが形成されていくようになると感じています。
他の方のブログを掲載するのは、著作権の問題で処置方法が分からず、困っています。
これを読まれた方は、私の作文にお付き合いいただきありがとうございます。
このブログを通して、私自身のブログの書き方に慣れて行こうと不定期ではありますが、投稿しています。
年寄りの戯言と笑いを生じているかもしれませんが、お付き合いください。
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