現在の学校教育で一番になることを教えているが、明らかな間違えです。人一人は全く違う存在であり、目指すところも違うわけです。そうすると何のための一番かがボケてしまいます。
一番を目指すことを目的とすると、他のことが見えなくなり、本来の教育のやるべきことすらわからなくなります。
これは現在の教育の弊害だと感じています。一番を目指して一番になれなかったら、どうすれば良いのでしょうか。行き場を失うはずです。一番になることはあくまでも結果であり、成果です。このことを求めるより、本来の教育の意義を考えるべきだと感じました。
何の為に教育を受けるかというと、私腹を肥やす為ではありません。表現はいろいろありますが、自己を確立し、世の中に役に立つことです。その中に一番と言う言葉はありません。
小学一年生、二年生の時の教育は、当時は言語化できませんが何か間違っていたように感じました。担任の先生は、一番を目指せ。と言うことを掲げていました。非常に違和感がありました。人それぞれは違う人間です。それを一つの物差しだけで測ることはおかしいと感じました。
現在から過去を見ると、やっていることがおかしく見えます。しかしそれも時代の流れかもしれません。学校教育ではただただ方法論を教わってきたように感じました。
教育基本法に人格の完成をめざす。とありますが、人格の完成させる教育を受けたような気がしません。少なくとも被教育者は感じていなかったように感じます。何度も繰り返しになりますが、方法論ばかり教わったように記憶しています。法律に記載している人格の完成とは違ったものでした。
改めて教育のあり方を問うべきだと感じています。人格を完成をめざすのであれば、そこに向けて教えることをもっと考えるべきだと感じます。
人格を完成をめざすなら、目指すべき所は、その方法は、より具体的に考えていかないと、実行できません。理屈を理屈で撫でくりまわしても何にもなりません。実行あるのみです。
もっと具体的な方法を考えるべきです。
それには二つのことが考えられます。
自己を確立する為に、修身の教育。
正しい歴史認識を持つ為に、歴史教育。
自身も修身の教育を受けたことがありませんので、これから勉強したいと考えています。何か発見があるかもしれません。
現代の教育のおかしさに気が付いた人がいたはずですが、その人たちは何をしてきたのでしょうか。批判するつもりはありませんが、疑問に感じます。過去は過去として肯定しつつも未来に向かうしかありません。
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