教育の荒廃は、明治時代初頭から始まったと言われている。
それを危惧した明治天皇が、教育勅語を井上毅氏につくらせた。とのことでした。
日清・日露戦争を指導した人たちは、江戸時代の教育を受けた人たちです。言わば寺子屋で教育を受けた人たちになります。先の大戦を指導した人たちは、明治時代の教育を受けた人たちです。
明治時代の教育で問題となる点は、一番になること。尊重したことが問題だったのです。
要するに一番になりさえすれば、そのことで自分は偉いと勘違いしてしまったそうです。
一番になったが、何もわからず、実力も経験もない人が、国家の要職についたところで、結果が見えています。
ではどのようにすべきか、江戸時代の寺子屋教育の解答があるような気がします。
寺子屋では、何を教えていたのでしょうか。
その時代に生きていなかったので、自信はないのですが、
童子教、実語教、四書五経などを中心に勉強していたそうです。素読や一つ一つの言葉の意味を知ることで、理解を深めたと考えています。
私も戦後の教育を受けたものとして、教育の軸となるものがなく、ただただ方法を教わったように感じました。私の好きな歴史もなぜそうなったのかには答えてくれませんでした。
戦後の教育は、マッカサー指導の下GHQによって行われました。二度とアメリカと戦争を起こさない国になるように。そのため、神話や誇り高き日本人は、教科書には出てきません。
現代は、GHQの占領下ではありません。
今一度、教育のあり方を抜本的に改革するような、時に来ていると感じます。
正直な話、義務教育じたいどのようなものかと、思います。
できる生徒もできない生徒も一緒に教室で教えると、できない生徒を教える間、できる生徒は足踏みをしていなければなりません。できない生徒中心に授業が進められるからです。
そのようなことを、小学生時代や中学生時代には考えたことがありませんでした。
教育の目的は、非教育者ではある小学生や中学生が、教育の内容を理解することであり、そのことを通して、社会貢献するような大人にすることが目的と考えていました。
教育の内容を理解することが目的となると、できる生徒はすでに目的を達成しているので、飛び級などをして、上の学年で教育し、できない生徒は落第させ、できるようになるまで教育をする。
先日、テレビを見ていたら、黒柳徹子さんが小学生時代に退学していたことを言っていました。
昔をそのようなことがあったのだと。目から鱗でした。
話は、横道にそれましたが、今一度、義務教育のあり方を、検討し、荒廃している教育の現場を変えていくことが、我々現代人に課された義務にように感じています。
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