待つことの大切さ

せっかちな人間には待つことができません。すぐに結果を求めようとします。しかしながら、待つことが出来なくて失敗する場合が多いように感じます。

待つと言うことは、相手がいると言うことになります。なかなか出来ないことです。待つにはその人に対する人間理解と、また組織の場合はその構造や仕組みを理解することがとても重要になります。

自分でできる事を全て行動したら、あとは待つことになります。余計な口出しをしたり、余計なお世話をしたりして相手の行動を阻害します。本当に何をしているのかわからない状況になってしまいます。

待つことの學ぶべき対象は、天皇陛下の在り方を學ぶことかもしれません。お知りになり、祈りを捧げ、そして寄り添う、それが待つことなのかもしれません。

存在に対する畏敬というべきか、我々の中々達せない境地です。

いくら待っていても、悪い方向に進まれては、本末転倒ですので、常に良い方向に誘導しなければなりません。自分が行動する以上に大変かもしれません。

待つことは、誰を待つのでしょうか。親であれば子供、会社で上司であれば部下、部活動などのは先輩であれば後輩になります。まれにその逆もあるかもしれません。

私の知り合いの話で、親は医療系の道に進んでほしいと願っていましたが、子供は全くその道には向いていないが、親が望んでいる。これではいくら待ってもその方向には進みません。コミュニケーションが必要だったかもしれません。結局子供は違う道に進みました。

人間には個性があるから思うようには進まないのが、日常茶飯事です。

待つことに対して具体的に、何を待つのか、深く考える必要があります。ただ待っていても良い方向には進みません。良い方向に進んでもらうには話し合いが必要になります。確認とでもいうべきでしょうか。

待つことは育てることでしょうか。待つことが育てることだったら、愛情が必要になります。人を育てるには必要不可欠なものです。

親子の関係や会社での人間関係など、ドラマになります。これはまさに待つことの良い教科書になります。ドラマの名前をあげたらキリがありません。

書き進めているうちに、若干違う方向に進みましたが、待つことを違う言葉で言うと、愛情を持って人を育てる。と言うことになります。

私自身よくわかっていません。お付き合いいただきありがとうございます。このような道は誰しも体験しるいると感じますので、書いてみました。皆様はどうお考えですか。

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