変わりゆく自宅周辺について

年々変わりゆく風景、何か寂しさを感じる。慣れ親しんだ風景も時代ととも変わってゆく。
これも時代の流れなのか。

先日、三月三十日にお豆腐屋さんが閉店になった。私の子供の頃には、他に3軒ほどありました。
当時の買い物は、朝昼晩に食材を求めて買い物をしていました。例えば、朝お豆腐屋さんに行き、昼は乾物屋に行き、晩は肉屋に買い物に行く。と言ったような日々を毎日繰り返していました。

お豆腐屋さんが閉店になったことは、悲痛な想いです。長年慣れ親しんだところがなくなるのですから寂しくてたまりません。最後の日に買い行きましたが、すでに売り切れでした。その日は仕事で午後行きましたが、時すでに遅し。

当時は冷蔵庫の性能も悪く、アイスクリームを買ってきても溶けてしまいました。現代は冷蔵庫の性能が良くなり、一度に買い物ができるようになったものここ四十年くらいだと感じています。

電化製品で、三種の神器と言われた頃のことです。ちなみに、他にテレビと洗濯機があります。
冷蔵庫は買い物に行く回数を減らし、洗濯機は年間象6頭分を洗う労力を軽減したとのことです。

当時のお母さんたちが、買い物に行く事自体が風物詩だったのかもしれません。その頃は、お母さんたちが買い物に行くため、スーパーに行っても男の姿はありませんでした。核家族が進み、一人暮らしが多くなった今日でありますが、そのような風景は現在ありません。

買い物に行く時は、必ず買い物カゴを持って買い物に行きました。お豆腐屋さんには手鍋を持って行きその中に豆腐を入れてもらいました。レジ袋が当時はなかったので、買い物かごは必需品でした。

八百屋に行くと、新聞紙で包んでもらい、魚屋では経木で包んでもらいました。経木は木を紙のように薄く削ったものです。

私が書いた内容は、昭和40年代です。もう少し書かせてください。
町工場は、朝の7時半くらいから、夜の8時くらいまで鳴り止まず、轟音を発していました。そのことが日本の経済を支えていたことは間違いありません。
そのような音が消えて、毎日が日曜日のようです。

今から考えてみると、懐かしくもありますが、工場がうるさかったのは、正直閉口しました。
その頃の人々が仕事をしている姿が、その時代の風景だったのかもしれません。

現代では、職人の数を減らしています。日本にとって、ものづくりは基幹産業です。ものづくりを国は保護するべきだったように感じました。その時代は、工場としてものづくりをしていましたが、今は中国に拠点を移しているようです。

失われた三十年は、このようなことも原因の一つかもしれません。また、工場の跡地が住宅地に変わっていっています。日本の行く末を心配するばかりです。

 

 

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